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東京地方裁判所 昭和46年(ワ)670号 判決

原告

社会福祉法人同受記念病院財団

右代表者

亀山孝一

右訴訟代理人

尾崎重毅

外一名

被告

有限会社川尻商会

右代表者

星谷恒吉

右訴訟代理人

野口恵三

外一名

被告

東京瓦斯株式会社

右代表者

本田弘敏

右訴訟代理人

小屋敏一

外二名

主文

一  原告の被告両名に対する請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実《省略》

理由

一事故の発生及びその原因について

1  訴外倉金直が昭和三八年一二月一〇日、原告病院内の浴室において入浴中に死亡したことは争いがなく、また〈証拠〉によれば、その死因は一酸化炭素中毒であること(この事実は原告と東京ガスとの間では争いがない。)、右の一酸化炭素中毒は、倉金直が入浴中に点火した同浴室内のガス風呂釜バーナーの不完全燃焼によるもめであることが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

2  そこでまず右の不完全燃焼の原因について判断する。

(一)  この点に関し、原告は、別件訴訟における訴訟告知と関連して、被告らが本件浴室の設置につき瑕疵がないと主張することは信義則上許されない旨主張する。しかしながら、たとえ訴訟の告知をした当事者が敗訴判決を免れないと考えて和解に応じた場合であつても、敗訴判決を受けたとすればその判決の参加的効力を生じると予想される事項について、訴訟の告知を受けていた者が後訴においてそれに反する主張をすることは信義則上許されないとする見解は一般論としてはたやすく採用できないし、本件の場合に、被告らが本件浴室の設置に瑕疵があるとの原告の主張を争うことを信義則上許されないものとすべき事情があると認めるに足りる資料はない。したがつて、原告の右主張は理由がない。

(二)  〈証拠〉によれば、事故の二日後に本件風呂釜を検査した際、バーナーを全開にして燃焼させると、新鮮な空気が供給される状態のもとでも、点火直後の廃気中に約0.18パーセントの一酸化炭素が検出され、風呂釜自体に不完全燃焼を起こすという欠陥があつたことが認められる。もつとも右の欠陥は、事故発生時から発見までの不完全燃焼の継続により発生した煤が付着したことによつて生じたものと考えられないでもないが、〈証拠〉によれば、事故発見後の本件風呂釜の状態は、バーナー自体には異常がないが、熱交換器の部分に、黒い煤に加え、完全燃焼の場合にも発生する硫酸銅の白粉が設置(のちに説示するとおり昭和三二年六月ごろ)以来の堆積と思われる程に付着し、右白粉が排気の通路を二割ないし三割程度狭めていたこと、したがつて右白粉の堆積自体がガスの不完全燃焼を惹起することになり、本件風呂釜には事故前すでに不完全燃焼により一酸化炭素を発生させるという欠陥が存在していたものと認められる。さらに、〈証拠〉によれば、本件浴室天井の換気口の網目にも煤のほか、かなりのほこりが付着し、通気を妨げる状態にあつたことが認められ、以上の事実を考え合わせれば、本件風呂釜を含め、本件浴室の保存管理には瑕疵があり、これが本件事故の一因をなしていたことは明らかである。

他方換気装置についてみると、事故当時本件浴室に設けられていた換気装置が、浴室入口の扉下部に設けられた実開口面積約四九六平方センチメートルの木製ガラリー一個と、天井に設けられた総面積一六九平方センチメートルの金網張りの換気口のみであつたことは、原告と川尻商会との間では争いがなく、東京ガスとの間においては、〈証拠〉によりこれを認めることができる。

ところで、東京ガスが本件風呂釜と同種の外釜式三号二段釜について昭和四一年に定めた換気装置の基準が原告主張(請求原因2(二)(1))のとおりであることは当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、より緩やかであつた昭和三二年当時(本件風呂釜の設置当時)の基準によつても、四二〇平方センチメートルの上部換気口と九一〇平方センチメートルの下部換気口を設置すべきものとされていたことが認められるのであつて、本件浴室に設けられた前記換気装置は、その設置当時の基準にも及ばないものであつたというほかない。さらにまた〈証拠〉によれば、本件風呂釜の公称ガス消費量は毎時3.7立方メートル、本件浴室の容積は約14.84立方メートルであり、これを東京ガス作成の建築家に対するガス風呂設置工事の指針を記載したパンフレットである〈証拠〉に記載された算式にあてはめて算出すると、本件風呂釜バーナーを燃焼させた場合の廃気量は毎時37.74立方メートル、必要換気回数は毎時約14.5回であるのに対し、〈証拠〉によれば、前記の換気装置による本件浴室の換気回数は、天井の換気口の目詰まりを前提としてではあるが、毎時一回程度にすぎず、前記指針の示すところにははるかに及ばないことが認められる。したがつて本件浴室の換気装置は、浴室における一酸化炭素中毒からの安全保持の観点からみて不十分なものであつたとのそしりを免れることはできない。

もとより、これらの基準ないし指針が、相当の安全度を見込んだものであり、これに達しないからといつて直ちに一酸化炭素中毒事故を惹起するものでないことは、〈証拠〉によつて認められるとおり、昭和三二年六月に本件風呂釜の使用を開始してから本件事故に至る約六年半の間に、原告病院の設備等を所管する総務部長に事故の報告が他に一件もなかつたことからも容易に肯認しうるところである。そして〈証拠〉によれば、本件事故当時、本件浴室内において一酸化炭素中毒による致死の結果を生じさせるためには、三〇分ないし一時間程度の継続燃焼を必要とすると認められるのに、〈証拠〉によれば、本件浴槽内の湯温を一度上昇させるのに必要な燃焼時間は一分強にすぎないことが認められるから、倉金直は、入浴中の追い焚きとしてはかなり長時間にわたりバーナーを燃焼させたものと推認でき、本件事故については、前記の保存管理の瑕疵に加え、このような悪条件が重なつたことも原因となつたと考えられる。しかし、換気装置が前示のように不十分なものではなく、例えば東京ガスの昭和三二年当時の基準に適合する換気装置が設けられていてもなおかつ本件事故が発生したであろうことを認めうるような資料は全くないのであつて、このことから逆に換気装置が前示のように不十分なものでなかつたとすれば、本件事故は防止できたものと推断して差し支えないものというべく、この意味において本件浴室の換気装置には瑕疵があり、その瑕疵と本件事故との間には因果関係があるとするほかはない。

二被告らの責任について

そこで以下右瑕疵につき被告らが責に任ずべきかどうかについて判断する。

1  川尻商会について

川尻商会が昭和三二年六月ごろ、原告との間に本件浴室をガス風呂に改修する工事につき契約を締結したことについては原告と川尻商会との間に争いがない。そして〈証拠〉によれば、右契約は、本件浴室をガス風呂に改修したい旨申出た原告に対し、東京ガスがガス風呂販売業者である川尻商会を紹介した結果締結されるに至つたものであり、ガス風呂釜の販売及び取付を内容とするものであること、鉄筋コンクリート造建物(病院内の一室)である本件浴室には、もと別室のボイラーから給湯する方法がとられていたので、天井に前記金網張りの小さな換気口があるほかに換気装置がなく、ガス風呂を使用するには換気が不十分であるため、川尻商会の販売員である川尻三郎が原告の経理課長(当時)田島清治と交渉した結果、脱衣場と廊下との間のコンクリート壁には、川尻商会が、ガス風呂釜設置のための浴室床面堀下げ工業とあわせて、換気口の設置工事をするが、浴室と脱衣場との間及び脱衣場と洗面所との間の各木製扉に設けるべきガラリーは、原告が出入りの大工を使つて施工することに取り極めたことが認められ、右事実に照らすと、川尻商会が前記契約により既設の本件浴室に自らの手で完全な換気装置を設けることまでを請負つたものと認めることはできない。

しかしながら他方、都市ガスが、その取扱いの如何によつては、不完全燃焼による一酸化炭素中毒を含め、事故発生の危険性の高いものであることは経験則上明白なところであり、ガス風呂釜の販売取付を業とする川尻商会としては、ガス風呂の販売取付にあたり、換気装置の一部を注文者が自ら設置することにした場合であつても、注文者において設置すべき換気装置につき適切な助言を与えるなど、ガス事故防止のための一定の注意義務を要求されていると解すべきであり、また注文者も、業者に対しそれを期待するのが当然であつて、右義務は、その違背が不法行為を構成すべき業者としての社会的な注意義務であるにとどまらず、販売取付契約に付随する契約上の義務(以下両者を合わせ「法律上の義務」という。)でもあると認むべきである。

よつて川尻商会が右義務を尽くしたかどうかにつき更に判断をすすめるに、〈証拠〉によれば、換気装置の新設につき川尻三郎と田島清治との間で前認定の工事分担の話合いが行われた際、川尻三郎は田島清治に対し、浴室入口の扉には、その上下にガラリーを設け、かつ風呂を沸かしながら入浴することは避けるようにとの注意を与え、これに対し田島清治は、脱衣場と洗面所の間にも扉があるから、浴室入口の扉はとりはずしてもよい旨言明したことが認められ、〈証拠排斥〉そして〈証拠〉によれば昭和三二年当時は、ガス風呂に排気筒を設けることは、東京ガスにおいても指導されておらず、一般的ではなかつたことが認められ、このことに、前記認定のように、原告が設置し事故当時に存在した浴室入口扉のガラリーは、右注意にもかかわらず一個だけであつたこと、しかし、それでも本件改修工事から事故の発生まで約六年半の間に特に危険があつたとは認められないこと、本件事故は換気装置の不備のみに起因するものではないことを考え合わせると、川尻商会は、前記注意を与えたことにより、ガス風呂販売業者として要求される最低限の法律上の義務を尽くしていたと認めるべきである。川尻三郎が浴室入口の扉に設けるべきガラリーにつき、東京ガスの基準どおりの大きさを告げたことについては、これを認めるべき証拠はないが、このことは右判断の妨げとなるものではなく、他に右判断を左右するに足りる証拠はない。

そうだとすると、川尻商会には、本件浴室の換気装置の瑕疵につきその責に任ずべき事由があつたすることはできず、債務不履行あるいは不法行為による責任を認めることもできないから、原告の川尻商会に対する請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。

2  東京ガスについて

東京ガスが、ガス事業法に基づく許可を受け独占的にガス供給事業を営むものであること、昭和三〇年一二月ごろ原告との間にガス供給契約を締結したことについては争いがない。

ところで、ガス供給事業は、常に人の生命財産等を侵害する事故発生の危険性を伴うものであり、それ故にこそガス事業法の資格を備えたものに限り独占的に右事業を営む許可を与えることとし、許可を受けたガス事業者は、諸法規によりガス保安のため種々の行政上の業務を負つているのであつて、このことに、ガス事業者は、一般のガス使用者に比し、ガス保安に関する高度の専門的知識、技術を有するものであることを考慮すれば、東京ガスは、右のようなガス事業者として、ガス事故防止のため高度の注意義務を要求され、この義務は、その違背が不法行為を構成すべき一般的な注意義務であるにとどまらず、ガス供給契約に基づきガス使用者に対して負う契約上の義務(以下両者を合わせて「法律上の義務」という。)でもあると認むべきである。

よつて東京ガスが、原告の本件浴室の換気装置に関し、右義務を尽くしていたかにつき判断すると、東京ガスの係員大塚実が昭和三二年五月一八日ころ、本件ガス風呂釜への配管工事の見積り、設計のため本件浴室を見分したことについては争いがなく、〈証拠〉によれば、大塚実は、その際、本件浴室の換気装置を点検しその不備を発見したが、本件浴室の改修工事が未完成であつたため、その適否の判断を留保するとともに、立会つた原告病院の田島清治に対し、東京ガスの換気装置設置基準を記載した〈証拠〉と同様のパンフレットを交付して、換気装置の改善を促したことが認められ、〈証拠排斥〉。また〈証拠〉によれば、東京ガスは、昭和三二年ごろから、一般ガス使用者に対し、換気装置の点を含め、ガス保安上の注意事項を周知させるべく、各種パンフレットの配付等の措置を講じていることが認められる。ところで〈証拠〉によれば、東京ガスは、そのガス供給規程において、供給施設につき保安の責に任ずる旨を定めており、ここにいう供給施設とは、右規程上ガス器具、機械等にガスを供給する元栓までの導管等の設備を言うと解され、また〈証拠〉によれば、右供給施設以外の保安に関しては、東京ガスは実際上強制力を持たないものと認められるから、右供給施設以外のガス器具・機械、換気装置等の諸設備については、使用者が第一次的に保安の責任を負い、東京ガススの法律上の義務は、供給施設に対するものに比し、二次的間接的なものにとどまらると解すべきである。前記供給規程上、東京ガスの立入検査、使用者に対する改善請求等について定められていることも右判断の妨げとなるものではない。

してみれば、東京ガスは、供給施設には含まれない本件浴室の換気装置については、前記認定事実によりその法律上の義務を尽していたものと言うべきである。

もつとも、〈証拠〉によれば、同人が原告に対して換気装置の改善を促した後に、その改善が実行されたか否かにつき、東京ガスは調査をなしていないことが認められるけれども、東京ガスにそれまでの調査をなす法律上の義務があるとはいいがたい。また、事故の前年の昭和三七年に、ガスのカロリーアップに伴うガス器具調整のため東京ガスの係員が本件浴室に立入つたことは当事者間に争いがなく、東京ガスには、その際本件浴室の換気装置を点検する機会があつたと認められ、このような機会に、使用者のガス器具等の設備につき、明らかな危険性を排除できる程度の点検をなすことは東京ガスの法律上の義務といいうるけれども、〈証拠〉によれば、ガスのカロリーアップが行われても、ガスバナーの調整がなされれば、その単位時間あたりの酸素消費量は、わずかに増加をみるのみであることが認められ、また前記認定の諸事実によれば、本件浴室の換気装置には瑕疵があつたとはいえ、その瑕疵は、即時に事故と直結するほどの明白なものであつたとは認められない(現に約四五年間にわたり、本件のような事故を起こすことなしに使用されてきていた。)から、右瑕疵を看過したことをもつて東京ガスが法律上の義務に違背したとすることはできない。

そうだとすると、東京ガスには、本件浴室の換気装置の瑕疵につき、その責に任ずべき事由があつたとすることはできず、債務不履行あるいは不法行為による責任を認めることもできない。

また、川尻商会に不法行為の責任が認められないこと前記のとおりであるから、これを前提とする東京ガスの使用者責任を認めることができないことはいうまでもない。

したがつて、原告の東京ガスに対する請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。

三結論

以上説示のとおり、原告の被告両名に対する請求は、いずれも理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(平田浩 山口久夫 鈴木健太)

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